2019-05-19

◆外大出身の私がなぜインテリアコーディネーターになったのか?⑧(最終回)~村上英子先生との出会い~

の続きです。

念願の建築&インテリア業界に入り、

晴れてインテリアコーディネーターの試験にも合格した私。  

インテリアコーディネーターの試験に合格すると、インテリアコーディネーター協会という所から「インテリアジョイントフェスティバル」というイベントに招待してもらえます。

  内容は、ホテルの見学会やお食事会、メーカーからの商品案内などで、インテリア業界の求人もありました。  いくつか求人の資料をもらったのですが、ある求人がとても気になりました。

それは、「SIマンションの専属インテリアコーディネーター」の募集でした。 

 当時、SI住宅が話題になっていました。

SIとは、スケルトン・インフィルの略で、構造体と内装を分離した工法のこと。

お仕着せの間取りではなく、住む人の好みやライフスタイルに合わせて間取りや内装を作ることができる!と建築系の雑誌でもよく取り上げられており、気になっていました。 

 で、募集にエントリーし、面接を受けることに。  

いざ面接の部屋に入ってみると、なんとそこにいらっしゃったのは、  

村上英子先生!!


(*画像はこちら↓
https://www.interior.or.jp/ic/about_ic/funtouki/backnumber/vol1/index.html
からお借りしました。
上のリンクから先生が戦後女性の自立を目指して奮闘された様子を垣間見ることができます。)

コーディネーターじゃない人は知らないと思うのですが、(若いICも知らない人多いかな??)

村上英子先生といえば、現在のインテリアコーディネーター業界の礎を築かれた方。  

「な、なんで村上先生がーーーっΣ(゚д゚lll)」

と、一気に緊張がMAXに!!  

村上先生の何もかも見抜くような鋭い眼光を前に、まるで蛇ににらまれたカエル状態。(違うか)  

緊張しまくって面接内容はあまり覚えてないのですが(笑)、

話した中で記憶にあるのは、SI住宅に興味があったこと、村上先生に

「あなたが知っているインテリアメーカーを教え下さい。」

と聞かれ、

「(日本)フクラ」

と答えたこと。  

そして、スクールの卒業演習や、バイトしてたハウスメーカーの設計事務で作った、図面やパースなど、未経験だったので、私の持っているものをとりあえずアピール。  

ガチガチの面接が終わり、最後に村上先生に、

「あなた、ほんとはもっと明るい方よね?」

と言われ、初めてほっと顔がゆるんで笑顔に^^よっぽど固まってたんだろうなー(笑)。   

で、面接結果は、なんと 

合格 

なんかすごいところに受かったかも。(私が最年少でした)

  *村上先生とは結局5年ほど?一緒にお仕事をさせていただいたのですが、のちにこんなありがたいお言葉をいただきました。

「面接の日、あなたはとても新鮮で清潔で、ぜひ一緒に仕事をしたいと思いました。その時の印象のまま素直に成長してくださいました。(少し強くなったかしら?)」 

 でね、そのインテリアコーディネーターの組織を作るにあたり、村上先生のある想いがありまして。

それは、ベテランから新人まであらゆる経験をもったインテリアコーディネーターのピラミッド組織をつくり、新人はベテランから、ベテランも新人からお互いもっているものを教えあって切磋琢磨するというもの。

特に、新人を育てたいという想いがあったのだと思います。  

普通、何かの仕事でフリーのコーディネーターが集まっても、お互い「食うか食われるか」の世界なので(笑)、自ら進んで教えるということはあまりないと思います。(会社に属するのコーディネーターだと別だと思いますが)  

そんな村上先生の想いのもとに集まった組織だったので、先輩方が本当にたくさんのことを教えて下さり、スポンジが水を吸収するように、日々知識が増えていったことを思い出します。インテリアの知識や接客のことなどありとあらゆること。

何気ない先輩の会話も本当に勉強になるんですよね~。  

そうそう、もうすぐお客さまとの接客が始まるというとき先輩に、 

「(お客様に)分からないこと聞かれたら、どうしたらいいんです???」

 と聞いたら、先輩が、

「そんなん、ハッタリでええねん♪」 

って言うので、「えーっ、ハッタリってどういうことですかー??」 と言って、笑われたり。(笑) 

初めての接客打合せでは、手が震えて文字が書けなかったり。 

初めての何気ない日常会話ができなくて、いきなり本題に入ったり。  

ウブな時代もあったなー(笑)。  

でも、かなり戸数の多いマンションだったので、数をこなすうちにだいぶ慣れてきましたね。  もう、インテリアコーディネーターデビューの環境としては理想的でした。

しかも、そのマンションが社運を賭けた一大プロジェクトだったので、熱い人が多くて。施主・施工会社・インテリアコーディネーターすべての関係者が大きな船に乗って航海してるような気分でした^^  

で、その仕事も契約期間があったので、そろそろ終わりに近づき、

「次どうするの?」と先輩に聞かれた時、「別のところで経験積もうと思っています。」と話すと、そのマンションを販売していた不動産会社の社員にならないかというお話をいただき、入社することになりました。 

 そこで、マンションを購入されたお客様向けのインテリア販売会の企画や、マンション・戸建てのモデルルームのコーディネートなどなど、ほぼ一人の部署だったので割と自由に働かせてもらっていました。出産を機に退職するまで、その会社には人間としても成長させてもらい、本当に感謝しています☆  

それから上の子が1歳になった時にフリーになり、今に至ります。  

子育てと仕事のバランスはいつも模索していますが、そろそろ仕事の比重も増やせるかなーと、今はワクワクしています^^  

今小さい子がいてモヤモヤしていても大丈夫。

その時できる範囲で、ちょっとづつでも続けていれば、また違った景色が見えてくると思いますよ☆  私は今、やりたいことが広がって。次のワクワクに向かって、進んでいこうと思います♪

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

<おまけ>

バイトしていたハウスメーカーの設計事務ですが、コーディネーターの試験に受かり、面接も通ったので、結局1年で辞めたんですね。

 でも、目指していたのはコーディネーターであり、次のステップに進むということで、愚痴られることもなく(笑)、送迎会もしてもらいました。

(実際のところ、新しい職場の方には、安定収入になるか分からないから掛け持ちしていいよ、と言われたんですが、私は中途半端になるのが嫌だったので、スッパリ辞めようと思いました。)

そして、36色入りのSTAEDTLERの水彩色鉛筆と、スケッチブックのプレゼントまでいただき。。。

なんてこった。泣けるやん><

  設計士さんたちには、ほんとよくしてもらいました。思ったことズバズバ言っても、笑ってくれたし。色んなこと教えてもらったし。設計する人って、基本的にまじめで、物事を深く考えてる人が多いので、落ち着きます。営業さんより好きだったなー。(←ひとこと多い)  

陶芸家目指していたときは何してもダメだったのに、コーディネーターを目指した途端、黄金の道が用意されていた。(←大げさ・笑)もちろん、行動したからだけどね。  

これからもあちこちぶつかりながら、気づいていくんだろうな。  それが「生きている」ということ。  

experience  is  everything.

*今回で、「外大出身の私がなぜインテリアコーディネーターになったのか?」シリーズの最終回となります。最後までお読みいただき、ありがとうございました。

こんな私ですが、これからもよろしくお願います^^

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